パンドラの箱の底には希望が残っていました

ギリシア神話のパンドーラーの一説に、開けてはいけないものの例えとして
パンドラの箱」という話があります。

箱の中には様々な災い(疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が入っており、
最後の1つを残して箱を閉じてしまう、という話ですが、
箱の底に残っていたものとしては諸説あるようです。

・予知説(前兆説)
残されていたのは未来を知る予知能力であるとする説。未来で何が起こるか分かってしまうと人間は絶望して生きる事を諦めてしまう。しかし前兆が最後に残されていたので人々は絶望しないで生きられる。
・予兆を残したとする説
最後に予兆が残るように仕向け外の世界に希望を残したとされる説。その為、人間は結果が分からなくなり、無駄な努力もしなければならなくなった。
・期待説(偽りの希望説)
ゼウスが最後に入れた、もっともな災厄は偽りの希望とされる説。このため人々は絶望する事もできず、空虚な期待を抱きながら生きなければならない。
・希望を災厄とする説
そもそも希望は災厄とする説。希望がある為に未来がわからず諦めることを知らない人間は、永遠に希望とともに苦痛を味わわなければならない。
WikiPediaパンドーラー より

どの説も、
・目に見えない希望(予兆・予知能力)が残っている事は間違いない
・でもその詳細は判んない
というところは共通しています。

これは正に人生そのものだなあと、最近しみじみ思うのです。
今が幸せでも、今以上の幸せの青い鳥を探して旅に出たい欲求を大なり小なり、
誰しも抱えており、不幸せな時も何か幸せを運んできてくれる神風の存在を
期待して、諦めきれない、っていうね。

俺自身、特にやりたい事がコレとあるわけではなく、
出来る事の量と質を高めて行く事に喜びを感じるタイプの人間なので、
「幸せ」「不幸せ」両方のパターンにハマりがちです。
方向付けの無いストーリーを上手くまとめ上げて、レベル上げしながらコツコツやる、
ゲームでいうと、ロマンシングサガとか三国志とかが好きなタイプとでも言うか。

案の定、ここ数年は「幸せ」パターンを中心に苦しんでおります。
なんか妙に忙しいし、お金はさっぱり貯まらないし。

また、「じゃあどこまでどういう風に幸せになったら満足なん?」という話に
当然なりますが、自分でも最近良く判りません。
目に見えない希望を探し求めて旅に出続けるのが良いのか、どこかで「俺の冒険の旅はここまでだ」と
区切りをつけて、パンドラの箱からは目をそらして生き続けるのが良いのか。
人に生まれた者全てが、一生を賭して考えて行かなければいけない大命題なのだと思います。