情けは他人の為ならず

品川駅なう 中学生が育英会の募金活動してるんだが、気合いが凄い 雨の中募金箱持って歩き回って、ティッシュ配りのように通行人1人1人に声かけて、目を見て自分の言葉で呼び掛けてる 募金は散々したけど、この子らの工夫と努力に報いたくなりつい1000円入れちった 何かこういう出費はいいね
http://twitter.com/#!/funato_/status/61672089849049088

理性で「うむ、この子達は工夫して精力的に仕事をしていて偉いし、一応大人である自分が認めてあげないといけないな。どんなに頑張っても成果が出ないと気落ちしちゃうだろうし。」とか思う以前に、衝動的にお金を入れていました。

まあ割と昔から募金はする方なのですけど、あまり衝動で動く方ではないので、何でかと考えてみたのですが。
こういうのは、自分が苦しい時に自分を助けてくれる材料になるから、だと思うのです。

自分が苦しくて、悲しくて、誰かに褒めて欲しい時。
褒めてくれる相手がいればいいけど、色々なめぐり合わせでいない時。
そんな時に、「いつか必ず褒めてくれる人が現れる」と思えるんですよ。
だって、自分も褒めてあげてるもん。
自分が起こした現象が、自分に起こらないわけがない、そう思えるんです。

それ以外のことでも、「情けは他人の為ならず(いつか自分に帰ってくる)」とか「因果応報」とか、概ね現実に即してると思うんですよね。
不思議なもので、他人にお金を貸さない面倒見の特段良くない人間が誰かから大金を借りられる事はないし、誰か人を殺せば遺族に恨まれて殺したいと思われる事はあるだろうし。
逆も然りで、たまたま偶然起こってしまった仕事上のミスを先輩に頼んでもいないのにフォローして貰ったら、個人差はあるでしょうが少なからず感謝し、「次は誰かに同じことをしてやってもいいかな」、と思うでしょう。

誰にでも、何にでも、とは言いませんが、自分と同じ種類のことを頑張っている人を見かけたら、大いに褒めて、フォローしてあげましょう。
それが、自分自身の自信やモチベーション、もしくは実際に助けてくれる人を作る事に繋がります。

奇麗事なんか言ってるつもりはありません。
自分や身の回りの人の利益を考える利己的な人間ほど、他人を援けるべき。
俺はそう信じています。