結果より過程が大事、と言う人の考えている事

色々なところで比較される事の多い結果と過程。
身近なところでは学校教育と会社の仕事の性質の違いを表すのに使われますね。
「学校では課程や努力を評価されたと思うが、社会に出たら結果を出してナンボだ!」とかね。

逆に、結果を出す事よりも、過程が大事という考え方もあり、ものによりますが一定の評価を得ていると思います。

例えば、会社の成果評価。
完全結果(成果)主義で評価を行っている会社というのは、やはり日本では少数派であり、「どれだけ頑張ったか」「どれだけ成長したか(業務で結果を出したかどうかは別として)」をもとに、ボーナスや昇給を決定している会社が多いです。

また、学校教育なんかもそうですね。
テストで何点取ったかとか、体力診断テストでどういう数値を出したとか、絵や歌のコンクールでどんな賞を取ったとか。
勿論、成果を上げている人はそれはそれで評価されますが、成果を上げていない人に何かペナルティがあるかというとそんな事はなく、「どういう過程でどういう風に頑張ったか」「過程から何を学んだか・気づいたか」なんかを元に評価を受けたりします。
具体例でいうと、出席点とか、ポートフォリオ(学習成果のファイルバインダー)による評価がそれに当たるでしょうかね。

でも、何故「過程が大事」なんて事を言いだすんでしょうかね?
出来たか出来ないかって結局、過程の積み上げで決まるし、最終的なアウトプットである成果だけ見てれば良くない?

とか言いつつ、実は自分自身は「過程が大事」派です。
実際、友人関係とか恋愛とか、大まかにいうと会社の仕事以外のものは過程を大事にしています。
経験を元に、過程を大事にすると、こういういい事があるんじゃないかと言うのを書き出してみました。

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1、改善すべきポイントが判りやすくなる
具体的に何をやっていたのかが判るので、効率的かどうか、正しい行動かどうかなどが浮き彫りになり、改善点が見出しやすくなります。

営業マンがお客様を怒らせてクレームの電話が来たとして、原因や話の流れを聞かないと、どこを直せば次は怒らせないのかが判りません。

2、次も同じ結果を出せるのか判断できる
成果が出たとしても、何故出たのか判らない事には、それが偶然なのか余裕でやった事なのか、本人のスキルによるものなのか棚ボタなのか等が、判りません。

例えば、鹿狩りに行って見事に鹿を持って帰ってきたからと言って、それがたまたま一緒に居合わせたベテランハンターに分けて貰ったものだとしたら、その成果を継続して収めるのは難しいでしょう。

3、結果に対しての納得感が増す
精いっぱい頑張って最高の成果が出れば一番いいですが、世の中必ずしもそうは行きません。
そんな時に「できる事は全部やった」とか「一番上手く行くと思った過程(方法)でやった」と想える事は重要です。情けないようですが、次の行動への活力を生むのは意外とこれだったりします。
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お分かりかと思いますが、1〜3いずれも諸刃の剣であり、やりすぎると逆効果になりそうです。
改善ポイントを探る事を重視する余り、それほど大事ではない仕事の改善にたくさんの時間を費やしたり、「できる事は全部やった」と安易に思い続けて成長意欲を削いでしまっては何もならないですね。
「成果を出せない過程に意味は無い」という社会人や大人としてのジレンマも脇に抱えつつ、バランスを取って生きて行きたいものです。